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私たちは、マエストロ・ナルシソ・イエペスにいろいろな形で出会いました。それは、最初に買ったギターのレコードであったり、「禁じられた遊び」の映画であったり、さまざまでした。
クラシックギターを弾くようになって、ナルシソ・イエペスの楽譜を手にし、そこには見慣れぬ指示があって、最初はとまどいました。しかし、慣れてくると、その指示や記号が音楽的に弾くための最も易しい方法の一つであることに気がつきました。今まで、苦労して練習しても弾けなかった部分が、たった一つの指示や記号で弾けるようになる、そんな経験も数多くしました。
今ではマエストロの演奏は録音物でしか聴けなくなってしまいましたが、マエストロはたくさんの楽譜を遺して下さいました。おそらく一生の宝物となるような…。
私たちは、これを一つの完成されたメソッド(方法論)として少しでも引き継いでいきたいと考えています。 いわゆる、イエペスメソッドを伝える場として、毎年秋から冬にかけての時期に「マエストロとの対話- トークとギターのコンサート -」と題するコンサートを行っています。
本ホームページ上でも有益な情報を随時載せていこうと考えています。
1998年 ブエナフエンテ メンバー一同
マエストロ ナルシソ・イエペスの生前からの遺志によって家族の手で散骨された場所は、ブエナ・フエンテ修道院でした。その名前を拝借してグループ名としましたが、スペイン語では本来ブエナ(buena)=良い、フエンテ(fuente)=泉・源という意味です。
マエストロの訃報を知って以来、とてつもなく大きな愛情を受けただけでまだ何一つ答えられないでいる自分が情けなく、師匠不幸の汚名を何としても返上しなくてはと思ってきました。
いったい何ができるのか?と自問してきた結果、マエストロがことあるごとに怒り、闘ってきた商業主義―宣伝万能主義には決して陥らず、音楽を、とりわけギター音楽を愛好する人達に対して「教え」を伝える機会を設けること、そしてたとえ小さな催しでも続けることがそれにあたると考えました。
そのことを私の所に通ってきているメンバーに話したところ、
「マエストロの演奏については、数え切れぬ人が生演奏に接し、また録音物も沢山遺されています。しかし、それに優るとも劣らない「教え」を正確に伝えられる人は、そしてその機会はとても少なく、ぜひマエストロに感謝している自分たちでそういった主旨の催しを実現させたい」
と言ってきました。
私は常々、私ほど師に恵まれた人間はいないと思っていましたが、同じ位生徒にも恵まれています。彼らに心からの感謝を!!、そして、これもマエストロのおかげでもあるのです。
正直に言うと、私はマエストロの「教え」について、その1/100くらいは知っているつもりでした。でも、亡くなった後に懐かしくも悲しくもある彼の練習室に入って、極稀に記されたマエストロの楽譜に目を通した瞬間、私などはギターのこと、音楽のことなどまだ何もわかっちゃいない小僧っ子だと気づき、何時間もただ呆然としていました。大切なものはそれを失う前に気がつかなくてはいけないのです。
そのとき、マリシア夫人が部屋に入ってきて、私が感じたそのままを伝えると、
「イエペスの前にイエペスは無かったし、
イエペスの後にもイエペス無し」
と言っていました。その通りでしょう。
とはいえ、1/100、いや1/1,000以下だとしてもゼロではありません。可能性は残されているのです。
はっきり自覚していることですが、私はリーダーの器ではありません。でも、もしかしたら、シーダー(種まき)にはなれるかもしれません。
これがこれからの私の唯一で最大のライフワークとなりましょう。
最後に私たちのこの小さな流れが源・水源となり、やがて大きな流れに、そしていつの日か大河になることを夢見ています。あたかもブエナ・フエンテ修道院辺りがスペインの大河・タホ川の水源地であるのと同じように…。と同時に、芸術という、下からは頂上が見えないーもしかしたら頂上などは無いかもしれぬー巨大な山を昇り続ける決意でいます、この仲間と共に。
そのために、力と勇気を皆様、私たちにいただければ、これ以上の喜びはありません。
1998年 宮本徳二
ブエナフエンテ修道院
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suzukipapa0603■gmail.com
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